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河村真木子さんの「当たり前を手放す勇気」。会社員から日本一のオンラインサロン運営者へ

シングルマザーで転職。プレッシャーで鬱に

「29歳の時に、まだ小さな子どもを抱えてシングルマザーになりました。さらにその2年後、業界最大手と言われる会社に転職し、プレッシャーもものすごくあって。実は鬱になりかけたんです。でも20歳の時に一度経験していたので、リサーチしていいお医者さんをすぐに紹介してもらい、幸い早めに回復することができました」

男性社会の中で、バリバリ働いてきた河村さん。とはいえ、「自分は鋼のメンタルを持っているわけではない」という。

「よく、“強そうだね”なんて言われるんですが、実はそれもバランスで、強く見える人は同時に弱くもあるんです。落ち込む気質が自分にあるって分かった今では、予防を心がけていますね。40歳の時にも鬱になったのですが、その時は子宮の手術をしたあとだったんです。ああ、ホルモンバランスって大事だなと思って。それ以来、運動や食事、起床時間など規則正しい生活でセロトニンの量を減らさないように心がけています」

SNSで本名のまま本音を発信すること

24歳の頃から、漠然と思い描いていた“40歳でリタイア”。いよいよ目の前に迫ってきた39歳の時に、インスタグラムをスタートする。当時はまだ匿名で“インスタ映え”するきれいな写真をアップする人が多い中、河村さんは本名で本音を出す場として活用した。

「もしも私が芸能人や立場のある人だったら隠していたかもしれないけれど、何者でもないただのサラリーマンだったので、隠さなきゃいけないことが何もありませんでした。逆に、本名で発信することによって、皆さんに自分が誰なのか、リアリティーをもって分かってもらえると考えたんです」

その後、順調にフォロワーを増やしていった河村さん。時に、フェイスリフトの手術もリアルで配信する“リアルさ”に、多くの女性を惹きつけた。そして世の中がコロナ禍の45歳の時、ついにオンラインサロンをオープンする。

「ほかのサロンを見てしまったら、それが“当たり前”になる」と、事前リサーチはなし。自分が入りたいものという感覚を信じた

「それまで一度もほかのオンラインサロンに入ったことはありませんでした。友人のホリエモンや勝間和代さんが先んじてオンラインサロン運営をされてましたが、先輩方のサロンを見てしまうとどうしても影響を受けてしまうと思い、お二人だけじゃなくどなたのサロンも見ないでゼロから作りました。

また、従来のオンラインサロンというよりは、コミュニティー運営の方に興味がありました。よく『オンラインサロンなら、メルマガみたいに月500円とかそれくらいじゃない?』と言われたんですが、私が発信する情報や良質なコミュニティーには月1万円の価値があると思って、貫きました」

“バリキャリ”と聞くと、仕事だけを頑張っているような印象をもつが、河村さん自身がそれに違和感を感じていたという。働く女性であっても、おしゃれをしてキレイでありたい、遊びにも行って、恋愛や人生も謳歌したい。だからこそ、そんな女性たちが潜在的に持っていた声を拾い上げ、河村さんを中心としたコミュニティーは拡大していく——。

Profile

河村真木子

1976年、奈良県生まれ。高校3年生の春にロサンゼルスの高校へ転入を決意。帰国後、関西学院大学に入学するも自主退学し、UCバークレー校に進学。卒業後は米系投資銀行に就職。2度の転職を経て、2021年8月にオンラインサロン「Holland Village Private Salon」の運営者となる。

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