オーストラリアの新しい美食デスティネーションとして、いま世界の注目を集めているのがタスマニアだ。この10年で自然に引かれた移住者が増え、志の高い生産者やシェフたちが次々と根を張り、わざわざ訪れる価値のある食の目的地が続々生まれているのだ。シドニーやメルボルンからすこし足を伸ばして訪れた3泊4日を紹介する。
オーストラリア有数の美食デスティネーション
オーストラリア南東部に浮かぶタスマニア島は、北海道よりひと回り小さい島。豊かな自然と世界遺産にも登録される原生地域が島の大部分を占め、人口約57万人の多くが州都ホバート周辺で暮らしている。
ホバートは1803年からヨーロッパ人による入植が始まり、オーストラリアでも最も古い都市の一つ。そのため19世紀前半の建築が数多く残っている
かつては林業や鉱業の島として知られていたタスマニア。ホバートへは、シドニーから飛行機で2時間弱という近さもあり、近年は自然に引かれた移住者が増加。志の高い生産者や料理人たちが次々と根を下ろした。2011年の現代アート美術館「MONA」の開業も追い風となり、この10年で世界有数の美食デスティネーションへと変貌を遂げている。
実は私自身、この島は長年のバケットリストの上位にあった。世界一空気と水がきれいで、貯(た)めた雨水をそのまま飲める場所があると聞いていたからだ。
青いグラデーションが美しいブルーニーアイランドの海
さらに、シドニーやアデレードのシェフたちに“今度タスマニアに行く”というたびに皆から一様に「タスマニア! いいなあ」と、羨望のまなざしをむけられたことも、期待感をあおった。世界中のおいしいものを知る料理人たちが羨ましがる旅先というのは、そう多くない。その理由を知るべく、世界の料理人たちが憧れる島へ飛んだ。
Day 1 ホバートの海辺のホテルでまずは羽を休める
ホバートでの拠点は、空港から車で20分ほどのホテル「The Tasman」にした。歴史的建築群を再生し、ジョージアン様式、アール・デコ、現代建築という異なる時代を一つにつなげたユニークな建築が独特の雰囲気を醸し出している。
外観からもさまざまな時代の建物をつなげて一つのホテルにしているのがよく わかる「The Tasman」
宿泊したのは、歴史的建築をリノベーションした“ヘリテージ棟”の部屋。天井が高く、19世紀の砂岩壁と暖炉の跡が残る空間は、ホバートがたどってきた歴史の片鱗(へんりん)を感じさせる良い雰囲気だ。
ヘリテージ棟の客室
その夜は、2026年に「Time Out Australia」の読者投票で「タスマニアのお気に入りレストランNo.1」に選ばれた、ホテル内のイタリアンレストラン「Peppina」で食事をすることにした。
シェフは、タスマニア生まれ、ナポリ育ちのマッシモ・メーレ。2004年、ローンセストンで開いた「Mud Bar & Restaurant」が人気となり、タスマニアの美食シーンをつくった人物だ。
「Peppina」シェフのマッシモ・メーレ(右)
彼がタスマニアで料理をする理由は、ひとえに「タスマニアの素晴らしい生産者の食材を料理したいから」だと話す。90頭しか飼育していない山羊農家のチーズ、Huon Valley産のトマト、地元漁師が直接持ち込む魚——自身が直接関係を構築してきた“顔が見える生産者”の食材の魅力を、薪火(まきび)どを使い引き出していく。
毎日手打ちをするというパスタは、獲れたてのロブスターと旬のトマトでシンプルに。素材の香りや味がダイレクトに伝わる一品だった。薪火で焼いたタコにはタスマニア産オニオンとハーブ。どの皿も直球勝負なのがいい。
この日のパスタは、「タスマニア産ロブスターのトマトソース スパゲッティ」。ロブスターの出汁(だし) とトマトでソースを作り、ズッキーニとともにパスタに
ソムリエが注いでくれたタスマニアのスパークリングワインは、冷涼な気候と海の影響で酸が際立ってきれいだった。しばしばブルゴーニュ的と評されるタスマニアのワインは、とてもエレガント。この出会いがきっかけで、滞在中はタスマニア産のワインだけ飲むようになった。
Day 2 フェリーで向かうは、美術館にあるエッジのきいたレストラン
翌朝早起きして目指したのは、歴史ある“サラマンカマーケット”。ここはタスマニアの食文化を最も気軽に体験できる場所の一つと聞いていたからだ。
毎週土曜日に開催されるサラマンカ・マーケット。50年以上の歴史がある
朝8時半から19世紀の風情を残す砂岩倉庫群の前に300以上の露店が並び、生産者たちが直接チーズやパン、蜂蜜、ワインを販売している。食品だけでなく、林業の街らしくタスマニアオークなどをつかった木工製品やキッチンツール、オーガニックのアロマオイルなどの小さな店も楽しい。土曜日にホバートにいるならぜひ訪ねたい場所だ。
現代アート美術館「MONA」へはフェリーで行くのがおすすめ。桟橋から美術館内部に入るトンネルが見える
午後はフェリーでダーウェント川を渡り、タスマニアが誇る「MONA」へ向かう。ここは、ギャンブラーであり実業家でもあるデビッド・ウォルシュが、自ら所有するワイナリー「Moorilla Estate」のブドウ畑の地下に造った現代アート美術館だ。
性と死という人間の根源的なテーマを軸に、「人間とは何か」「なぜ人は生きるのか」を問いかける作品が並ぶ。
この素晴らしい美術館については書ききれないので割愛するが、食のデスティネーションとして絶対にはずせないのが、美術館内のレストラン「FARO」だ。
シェフのヴィンスはニュージーランド生まれ。17歳で料理人を志し、シドニーに渡りキャリアを積む。MONA開業時から関わり、オープンと同時にシェフを務めている
シェフは2009年にシドニーから移住してきたヴィンス・トリム。彼の作る現代アートに呼応した美しい料理は、発酵などの技術を生かしながらさまざまな食材の味が緻密に重なり、完成度が高い。
「FUCK ART LET’S EAT」という過激な名前の前菜から始まるのがMONAらしい。左は「GUCCI OYSTER」。本物の牡蠣(かき)の味を、発酵きゅうりなどの“フェイク”素材で模倣するというコンセプトの料理。ブランドのフェイクを揶揄(やゆ)したもの。真ん中の「LICK THINE GOLDEN DAIVID WALSH’S FINGER」は、陶器でできた指形のオブジェにサフランとトマトのシートがまとわせてあり、左のオランデーズソースに浸してしゃぶって食べる。右はミニバインミー
すみずみにクスッと笑えるようなウイットを感じる料理がある一方、環境汚染の引き金となっている養殖サーモンは使わない、家畜ではなく、増えてしまっているワラビーや鹿などのゲームミート(野生肉)を使うなど、環境問題や持続可能性にもしっかり向き合っている。
ワラビーのタルタル。発酵したリンゴ、きゅうり、ピクルスなどをあわせている。真ん中の卵黄を崩し、添えてあるさつまいもチップスやクラッカーですくって食べる
単においしいだけではなく、「自然と食と人はどう向き合うべきか」というメッセージも内包しているのだ。
食事中、告知なく始まるダンサーのパフォーマンスや、レストラン内のジェームズ・タレルのインスタレーションを楽しめるのも、ここならではの楽しさだ。水の上に浮かんでいるような開放的なレストランで、忘れられない一夜を過ごすことができる。
窓の外は川。刻々と表情を変える外の景色を眺められる窓際の席がおすすめ