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軽井沢の森に建つサスティナブルを体現する、坂倉準三の名建築

7月29日発行の「marie claire」は「marie claire green」と題し、表紙から最後のページまでSDGsの特集です。SDGsとは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」のことです。2015年の国連サミットで、国連加盟国193ヵ国が2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた国際社会共通の目標です。17の大きな目標を掲げていますが、その中でもやはり環境問題が多くの人にとって最大の関心事ではないでしょうか?

SDGsの最初の言葉Sustainableは現在多くの場で使われていますが、その言葉にふさわしい、そして、ここ数年、私の強い興味の対象になっている住宅について書かせていただきます。

最近、ワーケーションや都会からの移住先として注目されている軽井沢。歴史的にも文化的にも日本を代表する避暑地として愛されてきました。その中心的な場所、雲場池から歩いて数分の場所に、軽井沢ナショナルトラストに歴史的建造物として指定されている住宅があります。

軽井沢といえば大きな木造建築や、最近ではコンクリートを多用した別荘やリゾートマンションが多いのですが、この住宅はそのような建物とは一線を画し、森の中にひっそりとたたずんでいます。

白いA型の柱が屋根の梁を支える

この建物「A型住宅」は、建築家坂倉準三が戦後間もない時期に、戦前から取り組んできた組立建築の構法を取り入れて生み出した住宅です。坂倉準三は1931年から36年までフランスの建築家ル・コルビュジエの下で修業した後、1937年にはパリ万博の日本館の設計で国際的な建築家としての名声を獲得します。帰国してからは家具や住宅、大規模施設や都市空間まで多様な作品を残しています。

坂倉は1940年、商工省の依頼で、ル・コルビュジエの下で同僚だったシャルロット・ペリアンを工芸指導のために日本へ招きます。この時ペリアンが持参した、フランスで計画された組み立て住宅の図面の写しを参照し、日本の生産体制に合わせて多くの組み立て住宅を作りますが、戦火でほとんどが消失してしまいました。そして戦後の1950年、坂倉は後に住宅公団総裁となる加納久朗氏の親子2世代のために2棟の住宅を作るのですが、設計のベースになったのはペリアンがもたらした組み立て住宅でした。その特徴は屋根を支える梁と、その梁を支える大きなA型の柱です。そこからこの建物は「A型住宅」と呼ばれます。

左上に見える屋根を支える梁と中2階に続く階段

この「A型住宅」はその後、経団連会長の石坂泰三氏が入手し、このうちの1棟が軽井沢に移築されました。

1966年に移築された「A型住宅」は石坂家と縁戚の臨床心理学者、霜山徳爾氏の山荘として使われ、その後現在のオーナーに引き継がれました。

「A型住宅」が坂倉準三の作品であることは、加納氏の手を離れた後は意識されずに住まわれ、またその存在すら忘れ去られていましたが、2006年、坂倉準三建築研究所に在籍していた建築家、北村脩一氏が偶然にもこの建物を発見。その歴史的経緯を確認し、「建築家 坂倉準三展」(2009年)での写真公開や建築雑誌での紹介を通じて、軽井沢の「A型住宅」として認知されたのです。

建設から70年以上もたつ建築物であり、また軽井沢という湿度の高い土地にあるため、建物内外装の各部には老化や傷みがありましたが、2016年の改装に当たっては先の北村脩一氏が携わり、また今年度の改装は北村氏が亡くなられたため、子息の建築家、北村紀史氏が竣工当時の図面と照らし合わせながら担当されました。

現在も、軽井沢の森にしっかりと立つ「A型住宅」は、まさにサステナブルを体現している住宅であり、それを維持するために人々が愛情と手間をかけた建築といえるのではないでしょうか。その姿は「簡素なれど品格あり」。

*参考資料:A型住宅(株式会社磯野商会、魁綜合設計事務所)
2021年7月29日

Profile

田居克人

marie claire 編集長

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