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鹿島茂と猫のグリの「フランス舶来もの語り」【クロワッサンはなぜ三日月の形?】

夏のべスポジ

クロワッサンは、いまや日本のどのパン屋さんでも見かけますが、あの形になった理由は? 仏文学者であり、その博覧強記ぶりでも知られる鹿島茂さんが愛猫グリ(シャルトリュー 10歳・♀)と、今では私たちの生活にすっかり溶け込んでいる海外ルーツのモノやコトについて語る連載。今回のテーマはクロワッサンです(本記事は鹿島茂:著『クロワッサンとベレー帽 ふらんすモノ語り』(中公文庫)から抜粋し作成しています)

マリー・アントワネットとともにフランスへ

食通エッセイを読んでいると、必ずといっていいほど、グルメの権威として知られる人が、子供のころ、ごくありきたりな食べ物を初めて食べて「いままで、こんなうまいもの食べたことがない」と心の底から驚いた体験を語っている。

私の場合、それに当たるのが、初めてフランスに行ったときに、サンジェルマン=デ=プレの三ツ星ホテルの朝食で食べたクロワッサン・オ・ブール (croissant au beurre)、つまりバターをたっぷり含んだクロワッサンだ。いやー、うまかったなあ。舌から口蓋へとじんわりと広がっていく味覚と香りの絶妙な感覚。

フランス語では「おいしい料理」というのを「口蓋(こうがい)に媚びる料理」というが、なるほど、口蓋で味わうというのはこのことかと初めて納得がいった。フランス料理というのは基本的にバターの料理なので、舌よりも口蓋のほうに「効く」のかもしれない。

それはさておき、このクロワッサンという食べ物、マリー・アントワネットが18世紀にルイ16世に輿入れ(こしいれ)したときに、ウィーンの宮廷からパン職人と一緒にフランスにもたらしたことはつとに有名だが、それがなぜ三日月のかたちをしているかというと、三日月が当時のオーストリアの宿敵オスマン・トルコのシンボル・マークだったからである。

イラスト◎岸リューリ

伝説によると、1683年にオーストリア軍がオスマン・トルコのウィーン包囲を撃退したとき、パン屋たちが勝利を記念して(敵を食べたという意味か)、オスマン・トルコの軍旗の三日月をかたどったこのパンを皇帝に献じたのが始まりとされる。

ただ、フランスでクロワッサンが一般に普及したのはかなり遅く、19世紀も後半になってからのことである。というのも、19世紀最大の百科事典『十九世紀ラルース』には、このクロワッサンのことは記載されていないからである。

一説では、パリのリシュリュー街のザングというパン屋が七月王政(1830-1848)期にこれを売り出して人気を呼んだというが、『ロベール辞典』に従えば、少なくとも、クロワッサンという呼び名で活字にとどめられるようになったのは1863年以降のことにすぎない。

いまでは日本でもおいしいクロワッサンを売るパン屋は少なくないが、パリで味わったあの風味が口蓋によみがえってくることはない。おそらく、あれがパリの「初味」だったからなのだろう。

〈グリの追伸〉夏の暑さ対策はこれに限ります。どこでもいいから、腹這いになって、お腹を冷たいところに付けること、これ以外にありません。

実演中

text & photos by Shigeru Kashima

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Profile

鹿島茂

かしましげる 1949年横浜に生まれる。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。2008年より明治大学国際日本学部教授。20年、退任。専門は、19世紀フランスの社会生活と文学。 1991年『馬車が買いたい!』でサントリー学芸賞、96年『子供より古書が大事と思いたい』で講談社エッセイ賞、99年『愛書狂』でゲスナー賞、2000年『職業別パリ案内』で読売文学賞、04年『成功する読書日記』で毎日書評賞を受賞。 膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。書評アーカイブWEBサイト「ALL REVIEWS」を主宰。

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