展示を紹介するヴィジュアルも木版画風(撮影・高橋直彦)
一方で日本版画運動協会の設立メンバーでもあった大田耕士が、恩地孝四郎や平塚運一といったプロの版画家らの協力を得て、51年に「日本教育版画協会」を設立。学校現場で教員と子どもが主体の民衆文化運動を目指し、58年告示、61年実施の小学校学習指導要領でも版画が推奨された。道理で高度経済成長期に小学生だった自分も木版画をせっせと作らされたわけだ。もっとも、個人的に、版画制作と相性は合わなかったけれど……。

そうした活動の背景には、版画家としても知られる山本鼎が大正から昭和にかけて展開した「農民美術運動」や「児童自由画運動」の影響もあるかもしれない。それが「生活綴方」に接続して、戦後の版画運動につながっていった可能性もあるだろう。ちなみに、2019年から20年かけて長野県の上田市立美術館で「農民美術・児童自由画100年展」という企画展が開かれ、その辺りの事情にも触れていたような気がする。


と、理屈はここまで。そんなことを一切知らなくても引き込まれる作品が多い。例えば、「天馬と牛と鳥が夜空をかけていく」という版画。青森県八戸市の湊中学校養護学級の生徒が1976年に共同制作した大型の作品(縦90センチ、横182センチ)で、シャガールの作品を思わせる。宮崎駿監督のアニメ映画「魔女の宅急便」(89年)の劇中画にもインスピレーションを与え、教育版画運動の傑作とされている。