歌舞伎俳優・尾上右近が自らプロデュースする「研の會」が、今年、第10回を迎える。2015年、23歳で立ち上げたこの公演を、自身の「やりたい」を形にする場として11年間走り続けてきた。9月の大阪・国立文楽劇場、10月の東京・明治座で迎えるファイナル公演を前に、その胸の内を聞いた。
コロナ禍による休演を挟み11年、第10回を迎える「研の會」。ファイナル公演の演目は『藝阿呆(げいあほう)』『鷺娘(さぎむすめ)』『春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)』の3本。その正式発表にあわせて、記者発表会が開かれた。
冒頭、右近は23歳の自分へ宛てた手紙を取り出し、時折声を詰まらせながら読み上げた。
「チケットが発売10分で完売した時の歓喜、初めて自主公演の幕が開く3日前に号泣したこと、10回も続けられる根拠など何もなかったこと——。やべ、泣きそう……」
11年間を振り返りあらためて今の気持ちを問うと、迷いのない答えが返ってきた。
「『自分、よく頑張ったな』という感じですね。思いを形にしたという証しを自分自身に残せた。それが誇らしいと思っています」
第1回「研の會」で初役として挑んだのが『春興鏡獅子』だった。そしてファイナルでも、同じ演目を選んだ。
「昨年4月に歌舞伎座でつとめた演目をまたすぐやるというのも、我ながら"藝阿呆"っぽくていいなと思って」と笑い、「純粋にまだ踊り足りません。一生踊り込んでいくことを前提に、課題はいっぱいある。自分にとってのオリンピックぐらいの気持ちで取り組みます」と意気込む。
第1回もファイナルも『春興鏡獅子』。11年間を締めくくる演目として、自らの原点を選んだ。
「研の會」序幕の『藝阿呆』は、明治の義太夫界を代表する三代目竹本大隅太夫と、名三味線奏者・二代目豊澤團平という2人の芸人の生き様を描く作品。長らく上演されてこなかった幻の演目を、今回は文楽の竹本織太夫、竹澤團七による生演奏で披露する。
「子どもの頃に観た子どもの頃に観た十八代目中村勘三郎おじ様が踊られた『藝阿呆』が強く印象に残っていて。その中で『吃又(きつまた)』の稽古シーンが出てくるのですが、それが忘れられない。だから今でも『吃又』を見ると、作品そのものの『藝阿呆』を思い出すほどです」
これまでの上演では名人の録音音源が用いられてきたが、右近は生演奏にこだわった。
「歌舞伎俳優が舞台に立つならば、演奏は生であるべき。清元家の人間でもある自分が録音音源でやるということは、自分自身のあり方を否定することになりますから」
芸の道を愚直に生きる男たち。その姿に、自身の芸道人生を重ねるように、右近もまた舞台へ向かうのだろう。
そして、映画『国宝』をきっかけに、あらためて注目を集める『鷺娘』が2幕目。こちらは道ならぬ恋に苦しむ白鷺の精を描いた女方の大曲で、右近にとって初役となる。
「流行(はや)ってるからやります、というのが一番わかりやすいかな」と笑いながら、本音も明かす。
「娘の役はあまりやってこなかったので苦手意識がありました。でも『鷺娘』は、江戸時代から続く女方の専売特許のジャンルの中で、独立して長く生き続けてきた力強い作品です。江戸歌舞伎のエッセンスをしっかり自分の中に入れていきたい」
振り付けは、藤間勘十郎と相談しながら「今までにない形」を模索中だという。そして大詰めが『春興鏡獅子」だ。
「幕切れは派手に終わりたいです」
右近は3歳の頃、曽祖父である六代目尾上菊五郎が踊る『鏡獅子』の映像を観て、「僕はこれになる!」と強く心に決めたという。
幼い日の自分が今の舞台を観たら、どう思うだろうか。尋ねてみると、少し間を置いて答えが返ってきた。
「大変そうって思うんじゃないですか。でも……楽しそうとも思ってもらえるだろうな」
生の舞台ならではの研ぎ澄まされた空気感や、客席と一体になるような緊張感。その魅力を問うと、返ってきたのは意外な言葉だった。
「余裕がないだけです。やるしかないと思ってやっている感覚ですよ。緊張感があるからいい、という側面もあるけれど、いつかもっとゆったり観ていられるような、そういう役者になっていきたいですね」
かつて「研の會」の第1回を立ち上げた頃、清元宗家の次男として生まれながら歌舞伎俳優の道を歩む自身に向けられる周囲の視線に、苛立(いらだ)ちや葛藤を抱えた時期があった。その思いは今、どのように変化したのだろう。
「葛藤というより、純粋に課題があるという感覚です。第1回で『吉野山』を清元の演奏で上演した当時は、まだ清元の名を名乗っていませんでした。今は七代目清元栄寿太夫として、演奏者としての名跡も受け継いで舞台に立っています。葛藤が課題に変わったというのは、自分の中ですごく大きな違い。本当におかげさまで、いい人生を歩めていると思います」
その言葉には、確かな充足感がにじんでいた。
10回という節目で終わりにすると決めた理由を尋ねると、「大変すぎるから」と笑い混じりに語り始めた。
「自分に負荷をかけることをテーマに走ってきた公演なので、まずは10回という区切りまで走り抜きたかった。これ以上やったら周りも自分もきついですから。ただ『言ったらやるしかない』という状況を作るために10回と言い続けてきた面もあって、過去の自分が決めたことが、今の自分にフィットしてきている感じがすごくあるんです」
「研の會」としては一度幕を引くが、自主公演の取り組みそのものをやめるわけではない。
「これからは、もう少し肩の力を抜いて楽しめる形にしていきたいですね。1人で3演目を演じるようなことはもうないと思いますし、小劇場で回数を重ねるような工夫も考えています。規模を大きくすることよりも、長く続けていける公演を目指したいです」
最後にメッセージを求めると、こんな言葉が返ってきた。
「大人の本気を目の当たりにする機会って、日常生活ではかなり限られていると思うんです。歌舞伎はそれを毎日やっている場所ですし、今回の『研の會』ファイナルは、特にその『本気』が凝縮された公演になっています」
そして、まっすぐな視線でこう結んだ。
「見た方がどう受け止めてくださるかを知りたい。だからこそ、ぜひ劇場に足を運んでいただきたいです」
11年間にわたり自らに厳しい課題を課し、愚直に重ねてきた「研の會」。その集大成となるファイナルには、尾上右近の芸への覚悟と挑戦の軌跡が詰まっている。
photo: Tomoko Hagimoto, text: Tomoko Komiyama
大阪公演:9月5日(土)・6日(日)国立文楽劇場
東京公演:10月2日(金)・3日(土)明治座
チケット一般発売:7月19日(日)10:00〜