使うほどに愛着が増す。用と美を兼ね備えた「開化堂」の茶筒は、暮らしになじむ製品として、国境を越えて高く評価されている。
思想家の柳宗悦は民芸運動で、職人の手仕事によって作られた日用品に美を見いだし、「用の美」と呼んだ。京都の手作り茶筒の老舗「開化堂」は、長く大切に使い続ける楽しさ、そこから生まれてくる美しさを教えてくれる。
材料は銅、ブリキ、真鍮(しんちゅう)。きわめてシンプルなデザインで、商品も基本的には直径と高さが異なるだけ。気密性が高く、上蓋を閉める際に手を離すと蓋がゆっくりと閉まっていく。開閉するときに何とも言えない心地良さがある。

「開化堂」の始まりは、1875年。英国から入ってきたブリキを使った丸缶製造の草分けとしてスタートした。どこの家庭でも日本茶を飲んでいた時代、茶筒は日用品だったが、時代に翻弄(ほんろう)されてもきた。
日中戦争の長期化と兵器増産のため、1941年、金属類回収令が施行され、茶筒の材料も供出品となった。「開化堂」では道具などを地中に埋めて隠しながら茶筒を製造し続けたが、発覚して3代目が警察に連行された。
戦後は、高度経済成長期に贈答用のお茶の需要が伸び、機械生産による茶筒が主流に。だが、バブル経済の崩壊で中元・歳暮の需要が落ち込み、さらにペットボトル飲料も普及。急須がない家庭も増え、手作りの茶筒を取り巻く状況は厳しいものとなった。

6代目で社長の八木隆裕さんは1997年に大学を卒業。父親から「この業界はだめになっていく。跡を継ぐな」と言われ、外国人観光客向けのお土産を扱う京都ハンディクラフトセンターで働き始めた。
多い時には1日800人もの観光客がやってくる。同センターでも扱っていた「開化堂」の茶筒を買っていく外国人に、用途を尋ねたところ、「キッチンで使う」。「これ、いけるかも」と思ったという。
「何を入れてもいい。国を越えて使える。このことが、世界を相手に売っていこうと考える起点となりました」
茶筒を作りながら、国内外で実演販売も行っていた八木さんのところに、2005年、ロンドンの紅茶専門店「Postcard Teas(ポストカード・ティーズ)」から、「うちでも扱いたい」というメールが届いた。この出会いが海外への窓を開く大きなきっかけとなった。

八木さんは、珈琲缶やパスタ缶など新しい製品を生み出していった。加えて、京都でもっと多くの人との接点ができるようにと、昭和初期の建物を改装した「Kaikado Café」を開業した。

「新しいものを作るたびに、新しい人との出会いがあります」
ものづくりの姿勢や思想に共鳴する人が国内外に現れ、「パナソニック」と茶筒形のワイヤレススピーカーを作ったり、ミラノサローネで高級ブランドの「ロエベ」と協業したり。
茶筒の製造工程は130を超える。缶が閉まる時のスムーズさや開けた時の心地良さは数値化できないもの。大事なのは職人の経験と勘だ。100年前の茶筒の修理を依頼されることもある。
「長く大事に使ってくれる人のためにも、技術を継承していかなければなりません」

2025年に創業150周年を迎えた。大量生産はしない。「STAY SMALL(小さくあること)」を守り続ける。茶筒を愛用するサカナクションの山口一郎さんと同年に協業。そのやりとりから職人の原点やものづくりのありようを再確認した八木さんのまなざしは未来へと向けられ、「開化堂」はさらなる進化を遂げていく。

text: 宮智 泉(マリ・クレールデジタル編集長)
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