英国を代表する人気ロックバンドBlurのベーシスト、アレックス・ジェームスが、2025年6月14日、大阪・関西万博の英国パビリオンで開催されたイベント「Festival of Flavours(味の祭典)」に出席するために来日した。
1990年代のブリットポップムーブメントの中心的存在として、ライバルバンドOasisとの伝説的な対決でブームを盛り上げ、一時代を築いたロックバンドBlur。そのベーシストであるアレックスは、2003年に結婚し、英南西部の美しい田園地帯コッツウォルズに移住。現在は200エーカー(東京ドーム約17個分)もの広大な農場で、妻クレアさんと5人の子どもたちと暮らす。
──Blurのメンバーとして、1992年の初来日以来、何度も日本を訪れていますが、日本について、どんな印象をお持ちですか?
日本に戻って来られたことを本当にうれしく思っています。今回、英国代表として、このミッションに参加する機会をいただいたとき、すぐに『イエス』と答えました。2023年にBlurがサマーソニックに出演した際、子どもを1人連れて来たのですが、それ以来、彼はずっと兄弟姉妹に日本の話をしているんです。それで今回はそのときに一緒に来た息子とその兄弟、妻も一緒に来て、ここで素晴らしい時間を過ごしています。

ポケモンは子どもたちに非常に人気がありますし、彼らはスタジオジブリとともに育ったようなものです。私たちは犬を飼っていますが、『千と千尋の神隠し』の主人公から「チヒロ」と名付けたんですよ。あの映画は家族みんなのお気に入りです。日本のカルチャーは、今のイギリスの若者にもすごく大きな影響を与えています。実はイギリスでは、日本食もとても人気です。とはいえ、あれは日本食とは言えませんね。日本食は世界中の料理の中でも私の一番のお気に入りですが、本場は別物です。日本の料理にはハズレがありません。コーヒーもそうです。日本ではひどいコーヒーに当たったことがない。信じられないことです。猫カフェのコーヒーでも美味しかったです。
──ロンドンからコッツウォルズへ移住されて20年以上になるかと思いますが、カントリーライフを選んだ理由やきっかけを教えてください。
Blurはツアーで頻繁に旅していたので、バンドのドラマーと私はパイロットの資格を取って、自分たちで軽飛行機を操縦して移動していました。イギリスからフランスまでわずか21マイルですが、英仏海峡を渡ると景観はまったく変わります。上空からイングランドを見ると本当に素晴らしくて、コッツウォルズはその中でも最も美しい場所です。私は上空から眺めながらいつも、そこに住みたいと思っていました。
妻のクレアとコッツウォルズを訪れたとき、私たちはすっかり魅了されてしまって。新婚旅行中に農場を購入しました。当時は無謀で大胆な決断だと思っていましたが、今思えば、ロックの世界ではありがちなパターンでしたね。バンドにいると、「死ぬか、農場で暮らすかどちらかだ」などとよく言われます。ツアーをやめたロックな紳士たちが行き着くところというのは、真実だと思います。バンド生活というのは何年もスーツケース暮らしですので、私は妻と出会ったとき、腰を落ち着ける場所がほしいなと思ったわけです。ただ当時は今とはまったく状況が違っていました。もう22年前になりますが、その頃、イギリスの農家にとっては厳しい時代で、私たちが買った農場の当時の持ち主も、もう限界という状況でした。結果的に私たちのタイミングは完璧で、この20年間でイギリスの食事情は劇的に変わりました。

──移住のタイミングはイギリスの“食革命”が始まった頃だったとのことですが、どう変貌(へんぼう)したのでしょうか?
私が子どもの頃、1970年代のイギリスはまだ第2次世界大戦の影響からの回復期でした。イギリスには素晴らしい食文化の歴史があったのに、すべて失われてしまっていた。レシピは伝えられず、料理の技術も受け継がれませんでした。私の場合、祖父がシェフで、最初の仕事は彼の下で働くことだったのは、本当に運が良かったと思います。そういうわけで約20年前まで英国は、多くのことを取り戻す必要があるという状況だったのですが、突然、さまざまなものが爆発的に発展したんです。たとえばイギリスでは今、1000種類近くのチーズが作られています。その背景にはいろいろな要素がありますが、ジェイミー・オリヴァーのような素晴らしいシェフが、人々に食への関心を持たせるテレビ番組を作ってくれたことも大きかった。そう、イギリスはようやく食の楽しさに目覚めた国なんです。自分たちの伝統を深く掘り下げ、そこにイギリスらしい技術革新を掛け合わせることで、質の高い食文化を復活させることができたと思います。
──農場での暮らしは、食に対する考え方やライフスタイルにどのような影響を与えたのでしょう?
実は、私はコッツウォルズに引っ越すまではベジタリアンだったんですよ。ポール・マッカートニーとはまったく逆のことが起きたんです。彼は農業を始めて、肉を食べるのをやめましたが、私は農業を始めて、肉を食べるようになりました。コッツウォルズは牧羊で有名で、僕たちが買った農場にも羊がいました。その羊たちが美味しかったわけです(笑)。
そしてライフスタイルも大きく変わりました。まだSNSなんてなかった時代です。私は世界を飛び回るミュージシャンから、静かな田舎暮らしを送るジェントルマンになった。その自分の生活の変化について、全国紙『The Independent』でコラムを書いていました。思うに、『ジェレミー・クラークソン農家になる』(Amazon Primeのドキュメンタリーシリーズ)の文字版みたいな感じです(笑)。
──音楽業界とは全く異なる食の分野に進出されたきっかけは?
私は昔からずっとチーズが大好きでした。90年代、Blurの日本公演のときには、ファンが私にめがけてチーズを投げていましたね。缶入りのカマンベールが足にあたってすごく痛かった(笑)。それはさておき、私の妻もチーズが大好きなんですよ。初めて一緒にディナーに出かけたときのことを覚えていますが、いい感じで食事をしていて、デザートのタイミングで、彼女が「チーズにしない?」と言ったんです。「おお、これはうまくやっていけそうだ」と思いましたね。それで、私たちは住まいとしてはもちろん、ビジネスとして農場を購入したものの、実のところ何をすればいいのか全くわかっていませんでした。ただ、農場自体に恋をしていたんです。

そして、暮らし始めて約18か月たった頃、あるチーズメーカーが農場でチーズを作ってみないかと声をかけてくれました。妻と私は、「なんてこと。どうして思いつかなかったんだろう? チーズ、最高だね」ということになって、その週の新聞のコラムに、チーズを作り始めることについて書いたんです。私はとても興奮していました。編集者に原稿を送ると、通常は気に入らないときに、電話がかかってくるものですが、そのときは原稿を送った3分後くらいに電話が鳴って、「チーズ、大好きだよ! 特集記事を書いて」って。それで私は記事を書き、その後、TV出演もありました。ちょうどイギリスの酪農家がチーズ作りへと事業を拡大していた時期です。ひとつの大きな流れのようなものがあって、何よりもそのムーブメントの一部になれたことが、素晴らしいことでした。
──「The Big Feastival」というフェスをご自身の農場で開催するというアイデアは、どうやって生まれたのでしょう?
私たちが農場で、たくさんの愛情を注ぎ、手間をかけてきたのはチーズで、「ブリティッシュ・チーズ・アワード」も開催しましたし、あれは私の人生の中でも最高の日のひとつだった。その約5年後に有名シェフのジェイミー・オリヴァーから電話がかかってきたんです。「君は食が大好き。僕は音楽が大好き。君はすごくよい会場を持っている。君の農場で「Feastival(ごちそうなどの意味を持つfeastとフェスティバルFestivalの造語)」をやるのはどう?」と。それで妻と私はまたしても、「どうして思いつかなかったんだろう? 素晴らしいアイデアだ」って(笑)。本当に自分がやりたいことが何かを見つけるのは一番難しいことですが、チーズ好きなことがフェスにつながったわけです。