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ルイズ・ブルックス 100年前のファム・ファタールに渋谷の映画館で出逢う【what to do】

『淪落の女の日記』(1929)はフェミニズムの視点で観ても興味深い作品

知的好奇心に満ちた『マリ・クレール』フォロワーのためのインヴィテーション。それが”what to do”。今回は、100年ほど前、銀幕を艶やかに彩った女優ルイズ・ブルックス(1906-85)について。今、東京・渋谷のシネマヴェーラ渋谷で彼女の出演した映画作品などが特集上映されている。断髪で、シャネルらによって提案された直線的なシルエットのドレスを纏った活動的なスタイルは今見ても新鮮。「韓国風」とやらの甘ったるい風俗に、内心辟易している『マリ・クレール』読者にこそ観てもらいたい。彼女の回想風エッセイをまとめた『ハリウッドのルル』も出版され、その知的で潔い生き様は、クララ・ボウをモデルにして今年日本で公開された 『バビロン』の華やかさも霞むほどだ。

1984年だったか、東京・赤坂のドイツ文化センターのホールで上映されていた「ドイツ映画大回顧展」で「動く」ルイズ・ブルックスを初めて観て虜になった。大学2年生の春のこと。G.W.パプストのサイレント映画『パンドラの箱』(1929)に「ルル」として主演し、身を持ち崩していく退廃的な女性を演じていた。ショートボブの髪型に、ドレスも身体のラインを強調しない直線的なシルエットで一見ボーイッシュ。体型も肉感的というわけではない。それなのに何とも艶っぽい。それはゴダールによる『女と男のいる舗道』(1962)のアンナ・カリーナや、黒沢清による『ドレミファ娘の血は騒ぐ』(1985)の洞口依子のスタイル(彼女の場合、厳密にはポニーテールだったけれど……)にも時代を超えて変奏されている。ドイツ文化センターでの上映を小説家の大岡昇平さんも観ていたようで、84年10月に出版した『ルイズ・ブルックスと「ルル」』(中央公論社)という美しい本のあとがきで触れていることを後から知った。

ブルックスをめぐる美しい書籍が日本語で読める僥倖

『ルイズ・ブルックスと「ルル」』は学生の時に購入して今でも宝物。絶版だが、古書でもそこそこの価格で手に入れることができる
『港々に女あり』(1928)はホークスの作品。パプストはこれを観て、ブルックスに『パンドラの箱』への出演をオファーした
『ハリウッドのルル』(国書刊行会)は待望の日本語版。彼女の圧倒的な記憶力や壮麗なレトリックに驚く

大岡昇平の「ブルックス頌」にひたすら嫉妬する

この本はルイズ・ブルックスと同世代で、出演作品を同時代的に観ていた大岡さんの熱烈なオマージュに満ち、若年の自分が大岡さんに嫉妬をした記憶がある。同じ本には、彼女が映画誌に寄稿したエッセイ「ギッシュとガルボ」「パプストとルル」の翻訳も掲載され、その知的な文才にも圧倒された。それら以外の寄稿をまとめた『Lulu in Hollywood』は82年に米国ですでに出版されていて、そのうち日本でも翻訳が出るだろうと高をくくっていたら、いつの間にか時間が経ち、今年4月、『ハリウッドのルル』として国書刊行会から出版された。大岡本出版からほぼ40年! 今回の特集上映は、この出版に合わせて企画されたものだ。

ルイズ・ブルックスも交流のあったフィッツジェラルド夫妻についても触れている『優雅な生活が最高の復讐である』。以前、新潮文庫で読んだ記憶があるが、新版では夫妻の写真などが数多く掲載されているのが魅力
『パンドラの箱』はドイツで修復された130分のヴァージョンが上映される

アメリカが最も輝いていた時代に活躍した女優

ルイズ・ブルックスが女優として活動した1920-30年代はアメリカが最も富裕で輝いていた時代でもある。最近、『優雅な生活が最高の復讐である』(田畑書店)という、20年代のフランスでアメリカ人夫妻の送った優雅な生活を記録したノンフィクションを再読したばかりで、この時代のアメリカの懐の深さをルイズ・ブルックスのエッセイからも知ることができる。映画史的にもサイレントからトーキーに移行していった時期で、彼女も17本のサイレントと8本のトーキーに出演。今回の特集では彼女の出演作7本と、『ハリウッドのルル』で取り上げられている作品や映画人の作品8本を上映している。いずれも100年ほど前の映画とは思えない生々しさ。実際、パプストが『パンドラの箱』の後に制作した『淪落の女の日記』(1929)を観たが、「映画を見に行く」というよりは、渋谷へ「ルイズ・ブルックスに会いに行く」という感覚に近い。彼女が不意にクローズアップになったりすると、ハッと息を飲む。だから癖になる。『ハリウッドのルル』を読みながらシネマヴェーラ渋谷に通うと、その生々しさがさらに倍増してくる。

ファンにとってはたまらない上映会のチラシは保存版。ポスターも欲しい
『チョビ髭大将』(1926)を監督したエドワード・サザーランドとは本作をきっかけに結婚したが、2年経たないうちに離婚した

ハリウッドの最新作も霞むほどの華やかさ

彼女が活躍していたころのハリウッドの爛熟した世界を描いた『バビロン』(2022)という作品も今春、日本で公開され、クララ・ボウをモデルにした女優の演技が話題になった。もっとも、欧米を股にかけたルイズ・ブルックスの活躍の前では、その演技も霞んでしまうほど。上映会場を観察していると、自身を含め、中高年男性の姿が目立つが、何とももったいない。ルイズ・ブルックスを知らない若い女性こそ、観るべきだ。スタイルはもちろん、人に媚びない自立した生き方からも大きな刺激を受けるはず。

吉祥寺で知人と会食をした際に見かけた『バビロン』のポスター。劇場では見逃して、海外出張の際に飛行機内で観た。もっとも、感性の鈍い自分には、デイミアン・チャゼルの作品はヒットしたミュージカル作品も含めて、なぜか心に響かない
関連作品として上映されるルノワールの『牝犬』(1931)。ブルックスに触発され、作品に登場する愛人役の女優の名前を「リュリュ」に
『ミス・ヨーロッパ』(1930)は今回のブルックス出演作品で唯一のトーキー。ただし、フランス語の歌と台詞は吹き替えらしい

『空の駅馬車強盗団』(1938)で、当時若手だったジョン・ウェインと共演後、映画界からきっぱりと引退し、ダンス教室を主宰したり、高級百貨店のバーグドルフ・グッドマンで売り子をしたりして、晩年は壮麗な文体の回想風エッセイを映画誌などに寄稿した。当時の様子は動画投稿サイトで偲ぶことができる。「ベルリンのルル」と題した1974年に撮影されたインタビュー映像があり、ヘアスタイルこそショートボブではないが、率直な物言いが何とも格好いい。いずれにしてもルイズ・ブルックスという神話的な女優を知る絶好の機会。本当のアイドルとは彼女のこと! 上映は21日まで。多少の雑事なら後回しにしてでも通う価値のある上映会である。

Profile

高橋直彦

『マリ・クレール』副編集長。1980年代半ば、ヨーロッパに遊学していた時のこと。大英博物館近くに映画専門の古書店があり、そこでオックスフォード大学出版部から出ていた映画事典とルイズ・ブルックスのブロマイドを買った。ブロマイドは額装して自室に飾ってあったが、引っ越しの時、倉庫に預けたままになっていて、今回お見せできないのが残念!

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